RBCザ・ニュース 月~金18:13~ スポーツキャスター
2008年09月06日
師の顔
私の恩師、アナウンサーとしての命を授けて下さった
東京アナウンスセミナーの永井譲治先生が急逝されました。
先週電話でお話させて頂いたばかりなのに、
とても信じられない気持ちでいます。
「アナウンサーになりたいと思って努力している人を
アナウンサーにするのが私の仕事です。
なれる人しかなれなかったら、学校を開いている意味が
無いじゃないですか。」
放送局のアナウンサー試験を受けても書類すら通過しない時期
永井先生はそう言って励まして下さいました。
同じように勇気づけられ、試験に合格してアナウンサーになり
活躍されている方は全国にたくさんいらっしゃいます。
永井先生の東京アナウンスセミナーは365日開講していました。
学校が閉まったのは先生の手術の時やお身内のご不幸の時のみ。
年越しの時でさえ大晦日に世田谷にある松陰神社にお参りし
元日もいつも通り、来校する生徒たちにアドバイスを送っていらっしゃいました。
その年越しの時、永井先生と松陰神社へのお参りにご一緒したことがあります。
幕末の志士、吉田松陰を敬愛する永井先生のお気に入りの場所でした。
吉田松陰は萩藩にて松下村塾を開き、高杉晋作や伊藤博文など
明治維新を成し遂げた人材を育てた人物として知られています。
その一方で「無私」「正直」の人でもあります。
まだ鎖国の時代、海外の見聞を広めたいと密航を企て、それが未遂に終わりました。
夜半、弟子の1人だけと決行したため誰にも言わなければ露見しなかったのですが、
役所に自首をし、牢獄に入れられます。
その牢獄で、彼のしたことは「教育」でした。
様々な罪で入獄している罪人たちに、
松陰は弟子たちと同じように接し、共に学問に励みました。
罪人たちは心を開き、役人達ですら、松陰の教えに耳を傾け、
講義することを許しました。
松陰の早すぎる死も、「正直さ」がきっかけでした。
天皇を中心とする朝廷を無視して日米修好通商条約を結んだ徳川幕府を非難し、
幕府の重臣の暗殺を計画しました。
これも計画のみに終わったのですが、再度自首します。
今度は許されること無く、斬首されました。享年30歳でした。
時世の句「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」は
歴史に興味のある人の間ではとても有名です。
吉田松陰は世の中に対して決してうまく立ち回ろうとはしない人でした。
そしてどんな身分の人に対しても等しく接しました。
その姿が永井先生と重なります。
有名アナウンサー養成学校の教務主任の座を捨て
お一人でアナウンス学校を立ち上げ、ゼロから再出発されました。
私が通っていた初期のころは、まだ生徒が少なく
世に数あるアナウンサー養成学校に比べて
入学金や授業料を取らなかったため経営も厳しくて
生徒が先生のお弁当をつくってきたり、
アルバイト代が入ったら、教室で使う消耗品を買ったり、
買い物やたくさん届く手紙の返信の宛て名書きや
問い合わせの電話の応対をしたりして
少しでも先生の負担を減らそうと努力していました。
本当に「私塾」と呼ぶにふさわしい場所でした。
放送の世界に飛び込むことが出来た後も
学校を訪ねたらいつでも原点に戻れた気持ちでいました。
在京キー局でも地方局でも、フリーで活動しているアナウンサーでも、
まだアナウンサーで無い生徒に対しても
その人の知名度や社会的地位に関係なく、
人柄に最も重きを置いて接する方でした。
永井先生の訃報に触れ、衝撃を受けている放送関係者が
全国にたくさんおられると想像出来ます。
365日、アナウンサー志望者のため、
またアナウンサーになった後に訪れる社会人としての悩みに応えるため
休むことなく走り続けた永井先生。
たくさんの勇気を頂いたのに、私はご恩返しが出来ませんでした。
永井先生はお幸せだったのだろうか。
無私の心境に到達などほど遠い私は
訃報に接した時からそればかり考えています。
たくさんの生徒の人生を豊かにして下さった先生の
ご自分の人生はどうだったのだろう?
余りに急にやって来た死に際して、どんなお気持ちだったのだろう?
それを考えると、いたたまれなくなります。
私が高知さんさんテレビに採用して頂いた後、東京出張の折に
永井先生をお訪ねした時のこと。
その日は珍しく色恋の話になりました。
先生は昔、ある女性に恋をした時のことを
とても遠い目で、とても懐かしそうに
微笑みながら話しておられました。
そんな話を伺ったことが無かったので驚いたこと、
少しはにかんだような先生の笑顔は今でもよく覚えています。
個人の幸せでは無く、生徒たちの幸せを優先されたこと、
それを素晴らしいとは思いながらも、
そのお気持に至るまでに、どんな葛藤があったのだろう、
寂しかったり、悲しいと思われることは無いのだろうかと感じました。
人の幸せのために生きる。今の私にはとても出来ないことです。
でも少しでも、永井先生がどうしてご自分のことは全く構わずに
毎日を駆け抜けてこられたのか、その力の源は何なのか?
それを知りたいと思っています。
いい人だから、生徒の幸せがご自分の幸せだから?・・・
それだけでは今の私には納得出来ません。
なぜなら自分だって幸せになりたいから。
人のために自分を犠牲にすることがまだ出来ないから。
永井先生、私は人のためになる仕事や生き方が出来るのでしょうか?
本当に思いやりのある優しい人間になれるのでしょうか?
自分や世の中に勝てる人間になれるのでしょうか?
勝ちたいと思うこと自体、また違うことなのでしょうか?
先生の訃報が届いてから、
とても大きな宿題が出されているような感じがしています。
私がいつ先生の旅立たれた先にたどり着けるか分りません。
けれどもそれまでに、自分なりの答えを持って行きます。
それまで待っていて下さい。
先生が気に入って下さった二日酔い止めのウコンも持って行きます。
また先生が微笑んでいらっしゃるお顔が、見たいです。
とりとめ無い文章で恐縮です。
申し訳ありませんが今日はこらえてやって下さい。
東京アナウンスセミナーの永井譲治先生が急逝されました。
先週電話でお話させて頂いたばかりなのに、
とても信じられない気持ちでいます。
「アナウンサーになりたいと思って努力している人を
アナウンサーにするのが私の仕事です。
なれる人しかなれなかったら、学校を開いている意味が
無いじゃないですか。」
放送局のアナウンサー試験を受けても書類すら通過しない時期
永井先生はそう言って励まして下さいました。
同じように勇気づけられ、試験に合格してアナウンサーになり
活躍されている方は全国にたくさんいらっしゃいます。
永井先生の東京アナウンスセミナーは365日開講していました。
学校が閉まったのは先生の手術の時やお身内のご不幸の時のみ。
年越しの時でさえ大晦日に世田谷にある松陰神社にお参りし
元日もいつも通り、来校する生徒たちにアドバイスを送っていらっしゃいました。
その年越しの時、永井先生と松陰神社へのお参りにご一緒したことがあります。
幕末の志士、吉田松陰を敬愛する永井先生のお気に入りの場所でした。
吉田松陰は萩藩にて松下村塾を開き、高杉晋作や伊藤博文など
明治維新を成し遂げた人材を育てた人物として知られています。
その一方で「無私」「正直」の人でもあります。
まだ鎖国の時代、海外の見聞を広めたいと密航を企て、それが未遂に終わりました。
夜半、弟子の1人だけと決行したため誰にも言わなければ露見しなかったのですが、
役所に自首をし、牢獄に入れられます。
その牢獄で、彼のしたことは「教育」でした。
様々な罪で入獄している罪人たちに、
松陰は弟子たちと同じように接し、共に学問に励みました。
罪人たちは心を開き、役人達ですら、松陰の教えに耳を傾け、
講義することを許しました。
松陰の早すぎる死も、「正直さ」がきっかけでした。
天皇を中心とする朝廷を無視して日米修好通商条約を結んだ徳川幕府を非難し、
幕府の重臣の暗殺を計画しました。
これも計画のみに終わったのですが、再度自首します。
今度は許されること無く、斬首されました。享年30歳でした。
時世の句「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」は
歴史に興味のある人の間ではとても有名です。
吉田松陰は世の中に対して決してうまく立ち回ろうとはしない人でした。
そしてどんな身分の人に対しても等しく接しました。
その姿が永井先生と重なります。
有名アナウンサー養成学校の教務主任の座を捨て
お一人でアナウンス学校を立ち上げ、ゼロから再出発されました。
私が通っていた初期のころは、まだ生徒が少なく
世に数あるアナウンサー養成学校に比べて
入学金や授業料を取らなかったため経営も厳しくて
生徒が先生のお弁当をつくってきたり、
アルバイト代が入ったら、教室で使う消耗品を買ったり、
買い物やたくさん届く手紙の返信の宛て名書きや
問い合わせの電話の応対をしたりして
少しでも先生の負担を減らそうと努力していました。
本当に「私塾」と呼ぶにふさわしい場所でした。
放送の世界に飛び込むことが出来た後も
学校を訪ねたらいつでも原点に戻れた気持ちでいました。
在京キー局でも地方局でも、フリーで活動しているアナウンサーでも、
まだアナウンサーで無い生徒に対しても
その人の知名度や社会的地位に関係なく、
人柄に最も重きを置いて接する方でした。
永井先生の訃報に触れ、衝撃を受けている放送関係者が
全国にたくさんおられると想像出来ます。
365日、アナウンサー志望者のため、
またアナウンサーになった後に訪れる社会人としての悩みに応えるため
休むことなく走り続けた永井先生。
たくさんの勇気を頂いたのに、私はご恩返しが出来ませんでした。
永井先生はお幸せだったのだろうか。
無私の心境に到達などほど遠い私は
訃報に接した時からそればかり考えています。
たくさんの生徒の人生を豊かにして下さった先生の
ご自分の人生はどうだったのだろう?
余りに急にやって来た死に際して、どんなお気持ちだったのだろう?
それを考えると、いたたまれなくなります。
私が高知さんさんテレビに採用して頂いた後、東京出張の折に
永井先生をお訪ねした時のこと。
その日は珍しく色恋の話になりました。
先生は昔、ある女性に恋をした時のことを
とても遠い目で、とても懐かしそうに
微笑みながら話しておられました。
そんな話を伺ったことが無かったので驚いたこと、
少しはにかんだような先生の笑顔は今でもよく覚えています。
個人の幸せでは無く、生徒たちの幸せを優先されたこと、
それを素晴らしいとは思いながらも、
そのお気持に至るまでに、どんな葛藤があったのだろう、
寂しかったり、悲しいと思われることは無いのだろうかと感じました。
人の幸せのために生きる。今の私にはとても出来ないことです。
でも少しでも、永井先生がどうしてご自分のことは全く構わずに
毎日を駆け抜けてこられたのか、その力の源は何なのか?
それを知りたいと思っています。
いい人だから、生徒の幸せがご自分の幸せだから?・・・
それだけでは今の私には納得出来ません。
なぜなら自分だって幸せになりたいから。
人のために自分を犠牲にすることがまだ出来ないから。
永井先生、私は人のためになる仕事や生き方が出来るのでしょうか?
本当に思いやりのある優しい人間になれるのでしょうか?
自分や世の中に勝てる人間になれるのでしょうか?
勝ちたいと思うこと自体、また違うことなのでしょうか?
先生の訃報が届いてから、
とても大きな宿題が出されているような感じがしています。
私がいつ先生の旅立たれた先にたどり着けるか分りません。
けれどもそれまでに、自分なりの答えを持って行きます。
それまで待っていて下さい。
先生が気に入って下さった二日酔い止めのウコンも持って行きます。
また先生が微笑んでいらっしゃるお顔が、見たいです。
とりとめ無い文章で恐縮です。
申し訳ありませんが今日はこらえてやって下さい。
Posted by 鉄太郎 at 03:34│Comments(11)
│ふと、思ったッス
この記事へのコメント
とても大きな宿題・・・そうですね。
なんだか全てのアイデンティティを失っ多様な気がします。そして先生の幸せ・・・ どうしたらいいんでしょう・・ 途方にくれてしまいます。
是非コチラにいらしたときはご一報ください。
なんだか全てのアイデンティティを失っ多様な気がします。そして先生の幸せ・・・ どうしたらいいんでしょう・・ 途方にくれてしまいます。
是非コチラにいらしたときはご一報ください。
Posted by 桃 at 2008年09月06日 10:45
私も永井先生に出逢った事で勇気付けられました。
もし違うアナウンス学校に行っていたら、才能も無く自信の無い私は、頑張れなかったと思います。
永井先生の笑顔とお言葉で可能性を引き出して頂けました。
先生は365日庄屋に行かれ、出逢った全ての生徒を平等に可愛がり、育て、一つ屋根の下に住んでるような...。
アナウンサーを育てる事が使命だったのですね。
まさか!嘘!信じられないと言う気持でいっぱいです。
悲しくて悔しいけれど、永井先生と出逢った生徒は皆、同じ気持ちで居る事と思います。
永井先生にもっと沢山恩返しがしたかったです。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
もし違うアナウンス学校に行っていたら、才能も無く自信の無い私は、頑張れなかったと思います。
永井先生の笑顔とお言葉で可能性を引き出して頂けました。
先生は365日庄屋に行かれ、出逢った全ての生徒を平等に可愛がり、育て、一つ屋根の下に住んでるような...。
アナウンサーを育てる事が使命だったのですね。
まさか!嘘!信じられないと言う気持でいっぱいです。
悲しくて悔しいけれど、永井先生と出逢った生徒は皆、同じ気持ちで居る事と思います。
永井先生にもっと沢山恩返しがしたかったです。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
Posted by 高世愛桂美 at 2008年09月06日 21:53
鉄ちゃん、まずは、大切な大切な先生が旅立たれた事、お悔やみ申し上げます。
鉄ちゃんの記事を読み、率直に思った事書きます。ただ、先生の気持ちは先生のみ知り得る所。あくまでも俺の意見を書きます。
先生は、もちろん若い時から、今の心の境地に至った訳では無いでしょう。
ただ、いろんな経験をされ、アナウンサーになりたい人をアナウンサーに育てる事に生涯をかける。そう先生はご自身の生き甲斐を見いだされた。
でも、鉄ちゃんの想いのこもった文を見ると、決してアナウンサーを育成しただけじゃないよね?
先生の人柄に触れ、アナウンサーである前に、1人の人間として、素晴らしいと周りに思われる人材を育てた。
それだけでも、素晴らしい生き甲斐。
でも、先生が最後まで、やり通したのは、鉄ちゃんみたいに全国に散らばっている教え子達が、嬉しい時、悲しい時、困った時、悩んだ時、なんにも無い時でも、何かにつけ、先生を訪ねてくる、その笑顔も、悩んだ顔も、全てが先生にとっては大切な宝物であり、先生ご自身の生きた証であり、幸せのもとだったんじゃないかな?
決して、お金では得られない心の幸せ。
そして、残された鉄ちゃん達生徒は、先生の恩を思うならば、アナウンサーとして、1人の人間として、先生から学んだ事を大切にして、一歩一歩人生を歩いて、悔いが残らない人生を歩いて、家族や周りの人達、放送を聞いたリスナーが少しでも幸せになる、そんな放送をする。
それが全てであり、大切な恩返しじゃないかな?
きっと先生は鉄ちゃん達のおかげで幸せだったと思うよ。だって、頑張っている全国の教え子が訪ねて来てくれて、笑顔で帰って、また頑張っていてくれたのだから。自分の人生は間違っていなかったと、誇れたのだから。
鉄ちゃん、先生の死の悲しみに捕らわれる事無く、先生に教わった素晴らしい教えを胸に歩いて下さい。
先生の事を思うならば。
古来、亡くなった人を思い過ぎて悲しむと、かえって故人が後ろ髪を引かれ、成仏できないと言います。
先生はきっと鉄ちゃんや他の生徒達の心の中にいらっしゃるはずです。
鉄ちゃん、先生の為にも、元気に人生を歩いて行って下さい。自分の、そして、周りの大切な人達、リスナー、そして、先生の為にも。
楽しく、有意義に。m(__)m
偉そうに書いてゴメンね。m(__)m
鉄ちゃんの記事を読み、率直に思った事書きます。ただ、先生の気持ちは先生のみ知り得る所。あくまでも俺の意見を書きます。
先生は、もちろん若い時から、今の心の境地に至った訳では無いでしょう。
ただ、いろんな経験をされ、アナウンサーになりたい人をアナウンサーに育てる事に生涯をかける。そう先生はご自身の生き甲斐を見いだされた。
でも、鉄ちゃんの想いのこもった文を見ると、決してアナウンサーを育成しただけじゃないよね?
先生の人柄に触れ、アナウンサーである前に、1人の人間として、素晴らしいと周りに思われる人材を育てた。
それだけでも、素晴らしい生き甲斐。
でも、先生が最後まで、やり通したのは、鉄ちゃんみたいに全国に散らばっている教え子達が、嬉しい時、悲しい時、困った時、悩んだ時、なんにも無い時でも、何かにつけ、先生を訪ねてくる、その笑顔も、悩んだ顔も、全てが先生にとっては大切な宝物であり、先生ご自身の生きた証であり、幸せのもとだったんじゃないかな?
決して、お金では得られない心の幸せ。
そして、残された鉄ちゃん達生徒は、先生の恩を思うならば、アナウンサーとして、1人の人間として、先生から学んだ事を大切にして、一歩一歩人生を歩いて、悔いが残らない人生を歩いて、家族や周りの人達、放送を聞いたリスナーが少しでも幸せになる、そんな放送をする。
それが全てであり、大切な恩返しじゃないかな?
きっと先生は鉄ちゃん達のおかげで幸せだったと思うよ。だって、頑張っている全国の教え子が訪ねて来てくれて、笑顔で帰って、また頑張っていてくれたのだから。自分の人生は間違っていなかったと、誇れたのだから。
鉄ちゃん、先生の死の悲しみに捕らわれる事無く、先生に教わった素晴らしい教えを胸に歩いて下さい。
先生の事を思うならば。
古来、亡くなった人を思い過ぎて悲しむと、かえって故人が後ろ髪を引かれ、成仏できないと言います。
先生はきっと鉄ちゃんや他の生徒達の心の中にいらっしゃるはずです。
鉄ちゃん、先生の為にも、元気に人生を歩いて行って下さい。自分の、そして、周りの大切な人達、リスナー、そして、先生の為にも。
楽しく、有意義に。m(__)m
偉そうに書いてゴメンね。m(__)m
Posted by 頑固一徹おやじ at 2008年09月06日 23:09
>桃さん
了解です! なんだか洗濯機の歌と
どじょうすくいを思い出します。
ますます素敵になられているんでしょうね。
お別れの会の日時が決まったら
中目黒に行きます。
アナセミ、何とか存続してもらいたいですね。
自分には何が出来るか考えます。
>高世愛桂美さん
コメントを下さって、ありがとうございます。
永井先生のもとにはたくさんの方が
勉強に訪れていたことを改めて感じます。
またブログの方にもおじゃまさせて下さい!
>頑固一徹おやじさん
新潟は本当にいい人が多いなぁ(笑)
心を込めて書いて頂いて、
本当に感謝です。
ごめんだなんて、とんでもないです。
永井先生の言葉「明るく、心を持って、一生懸命に」
これを一生心に刻んで行きます。
いつも読んでくださって、励まして下さって
ありがとうございます!
了解です! なんだか洗濯機の歌と
どじょうすくいを思い出します。
ますます素敵になられているんでしょうね。
お別れの会の日時が決まったら
中目黒に行きます。
アナセミ、何とか存続してもらいたいですね。
自分には何が出来るか考えます。
>高世愛桂美さん
コメントを下さって、ありがとうございます。
永井先生のもとにはたくさんの方が
勉強に訪れていたことを改めて感じます。
またブログの方にもおじゃまさせて下さい!
>頑固一徹おやじさん
新潟は本当にいい人が多いなぁ(笑)
心を込めて書いて頂いて、
本当に感謝です。
ごめんだなんて、とんでもないです。
永井先生の言葉「明るく、心を持って、一生懸命に」
これを一生心に刻んで行きます。
いつも読んでくださって、励まして下さって
ありがとうございます!
Posted by 鉄太郎
at 2008年09月07日 00:44

突然のコメント失礼致します。
私も東京アナウンスセミナーで9期生として先生にお世話になっていました。未だに先生の死を受け入れることができません。ただ、先生のような偉大な方に出会うことができ、価値観が変わり人生観が変わり、私はとても幸せ者だと感じています。
先生から教わってきた一つ一つのことを、来年度から精一杯仕事の中で活かしていきたいです。
先輩のように全国で頑張っていらっしゃる先輩を目標に、私も頑張ります。
またBLOGにお邪魔させて頂きます。
私も東京アナウンスセミナーで9期生として先生にお世話になっていました。未だに先生の死を受け入れることができません。ただ、先生のような偉大な方に出会うことができ、価値観が変わり人生観が変わり、私はとても幸せ者だと感じています。
先生から教わってきた一つ一つのことを、来年度から精一杯仕事の中で活かしていきたいです。
先輩のように全国で頑張っていらっしゃる先輩を目標に、私も頑張ります。
またBLOGにお邪魔させて頂きます。
Posted by 大河原あゆみ at 2008年09月07日 21:19
>大河原あゆみさん
わざわざコメントありがとうございます!
私は社会人中途採用といった感じですので、
1,2期生の方々と一緒にお世話になりました。
書いて下さった内容ですと、
もう内定が出ていらっしゃるのですね。
良かったですね!!
私も沖縄で全国の仲間や先輩方に
胸を張れるよう頑張って行きます。
またよろしければ、お越し下さい!!
わざわざコメントありがとうございます!
私は社会人中途採用といった感じですので、
1,2期生の方々と一緒にお世話になりました。
書いて下さった内容ですと、
もう内定が出ていらっしゃるのですね。
良かったですね!!
私も沖縄で全国の仲間や先輩方に
胸を張れるよう頑張って行きます。
またよろしければ、お越し下さい!!
Posted by 鉄太郎
at 2008年09月08日 12:16

初めて、メールさせていただきます。
東京の大学に在学中の長女が、
今年の春より永井先生のアナウンススクールに
お世話になっております。
突然の訃報に、ただ驚くばかりでしたが
そんな中でも、講師の方々が素早く対応していただき、皆さんで支えていただいております。
訃報の連絡が届いてから、少しして同期の方から、10期生にメールが届いたそうです。
「元気にしていますか?
こんな時だからこそ、みんなで集まりませんか・・・」と
親元を離れ、知り合いも誰一人いない娘でしたが、
いい友人や、皆さんに支えていただいていると
感謝するばかりです。
永井先生には、お会いした事はありませんが、
鉄太郎さんや皆さんのお話を読ませていただくだけで、先生のお人柄が偲ばれます。
先日、やっと電話でゆっくり娘と話し
最後に、「どんな形であれ、話す事が好きだし、
おばあちゃんになっても、<言葉>と関わっていきたい」と申しておりました。
折しも、
キー局の体験セミナーやエントリーが始まりました。
スクールの生徒の皆さんが一人でも多く、
夢を叶えてアナウンサーになれる事を 願っています。
その事が、何よりの先生へのご供養になるでしょう。
鉄太郎さんも、どうぞお体を大切に
今のお仕事を楽しみながら、頑張られて下さい。
長々と、失礼いたしました。
東京の大学に在学中の長女が、
今年の春より永井先生のアナウンススクールに
お世話になっております。
突然の訃報に、ただ驚くばかりでしたが
そんな中でも、講師の方々が素早く対応していただき、皆さんで支えていただいております。
訃報の連絡が届いてから、少しして同期の方から、10期生にメールが届いたそうです。
「元気にしていますか?
こんな時だからこそ、みんなで集まりませんか・・・」と
親元を離れ、知り合いも誰一人いない娘でしたが、
いい友人や、皆さんに支えていただいていると
感謝するばかりです。
永井先生には、お会いした事はありませんが、
鉄太郎さんや皆さんのお話を読ませていただくだけで、先生のお人柄が偲ばれます。
先日、やっと電話でゆっくり娘と話し
最後に、「どんな形であれ、話す事が好きだし、
おばあちゃんになっても、<言葉>と関わっていきたい」と申しておりました。
折しも、
キー局の体験セミナーやエントリーが始まりました。
スクールの生徒の皆さんが一人でも多く、
夢を叶えてアナウンサーになれる事を 願っています。
その事が、何よりの先生へのご供養になるでしょう。
鉄太郎さんも、どうぞお体を大切に
今のお仕事を楽しみながら、頑張られて下さい。
長々と、失礼いたしました。
Posted by 10期生の母より at 2008年09月18日 21:21
>10期生の母さま
コメントいただき、ありがとうございます。
私の方でも、講師の先生方が
支えて下さっていると伺っております。
お嬢さんが前向きな気持ちでいらっしゃること、
10期生の皆さんが励ましあっておられること、
とても嬉しく思います。
私の方は、今ある仕事に打ち込むことしか
先生に少しでも恩返しできることが
見つかりません。
今目の前にあることを全力で取り組みたいと
思っております。
お嬢さんを始め、今アナウンサー受験されている
皆さんに吉報が届くことを
沖縄から祈っております。
メッセージありがとうございました。
コメントいただき、ありがとうございます。
私の方でも、講師の先生方が
支えて下さっていると伺っております。
お嬢さんが前向きな気持ちでいらっしゃること、
10期生の皆さんが励ましあっておられること、
とても嬉しく思います。
私の方は、今ある仕事に打ち込むことしか
先生に少しでも恩返しできることが
見つかりません。
今目の前にあることを全力で取り組みたいと
思っております。
お嬢さんを始め、今アナウンサー受験されている
皆さんに吉報が届くことを
沖縄から祈っております。
メッセージありがとうございました。
Posted by 鉄太郎
at 2008年09月19日 01:05

鉄太郎さん、ご無沙汰しております。
以前、某お化粧水送ってくださったのですが
覚えてらっしゃいますか?
私は今、お料理を教えていて、
アナウンサーとは違うけれども、
伝える仕事に携わっています。
鉄太郎さんの言葉、
一つ一つ重みがあって、
涙がでそうになりました。
以前、某お化粧水送ってくださったのですが
覚えてらっしゃいますか?
私は今、お料理を教えていて、
アナウンサーとは違うけれども、
伝える仕事に携わっています。
鉄太郎さんの言葉、
一つ一つ重みがあって、
涙がでそうになりました。
Posted by 土器絵里子 at 2008年10月17日 00:24
>土器さん
はい、覚えております!
お元気そうで何よりです。(^^
私は沖縄で永井先生に教えて頂いたことを
実践しいていこうと思っています。
沖縄は料理もまた個性豊かです。
土器さんもぜひ遊びにいらして下さい!
はい、覚えております!
お元気そうで何よりです。(^^
私は沖縄で永井先生に教えて頂いたことを
実践しいていこうと思っています。
沖縄は料理もまた個性豊かです。
土器さんもぜひ遊びにいらして下さい!
Posted by 鉄太郎
at 2008年10月20日 10:48

私も、まだ信じられません。何か抜け殻になったような感じです。でも永井先生から教えていただいた事、これからも大事にして生きていきたいと思います。
Posted by 小野秀一 at 2008年10月21日 18:46