私の恩師、アナウンサーとしての命を授けて下さった
東京アナウンスセミナーの永井譲治先生が急逝されました。
先週電話でお話させて頂いたばかりなのに、
とても信じられない気持ちでいます。
「アナウンサーになりたいと思って努力している人を
アナウンサーにするのが私の仕事です。
なれる人しかなれなかったら、学校を開いている意味が
無いじゃないですか。」
放送局のアナウンサー試験を受けても書類すら通過しない時期
永井先生はそう言って励まして下さいました。
同じように勇気づけられ、試験に合格してアナウンサーになり
活躍されている方は全国にたくさんいらっしゃいます。
永井先生の東京アナウンスセミナーは365日開講していました。
学校が閉まったのは先生の手術の時やお身内のご不幸の時のみ。
年越しの時でさえ大晦日に世田谷にある松陰神社にお参りし
元日もいつも通り、来校する生徒たちにアドバイスを送っていらっしゃいました。
その年越しの時、永井先生と松陰神社へのお参りにご一緒したことがあります。
幕末の志士、吉田松陰を敬愛する永井先生のお気に入りの場所でした。
吉田松陰は萩藩にて松下村塾を開き、高杉晋作や伊藤博文など
明治維新を成し遂げた人材を育てた人物として知られています。
その一方で「無私」「正直」の人でもあります。
まだ鎖国の時代、海外の見聞を広めたいと密航を企て、それが未遂に終わりました。
夜半、弟子の1人だけと決行したため誰にも言わなければ露見しなかったのですが、
役所に自首をし、牢獄に入れられます。
その牢獄で、彼のしたことは「教育」でした。
様々な罪で入獄している罪人たちに、
松陰は弟子たちと同じように接し、共に学問に励みました。
罪人たちは心を開き、役人達ですら、松陰の教えに耳を傾け、
講義することを許しました。
松陰の早すぎる死も、「正直さ」がきっかけでした。
天皇を中心とする朝廷を無視して日米修好通商条約を結んだ徳川幕府を非難し、
幕府の重臣の暗殺を計画しました。
これも計画のみに終わったのですが、再度自首します。
今度は許されること無く、斬首されました。享年30歳でした。
時世の句「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」は
歴史に興味のある人の間ではとても有名です。
吉田松陰は世の中に対して決してうまく立ち回ろうとはしない人でした。
そしてどんな身分の人に対しても等しく接しました。
その姿が永井先生と重なります。
有名アナウンサー養成学校の教務主任の座を捨て
お一人でアナウンス学校を立ち上げ、ゼロから再出発されました。
私が通っていた初期のころは、まだ生徒が少なく
世に数あるアナウンサー養成学校に比べて
入学金や授業料を取らなかったため経営も厳しくて
生徒が先生のお弁当をつくってきたり、
アルバイト代が入ったら、教室で使う消耗品を買ったり、
買い物やたくさん届く手紙の返信の宛て名書きや
問い合わせの電話の応対をしたりして
少しでも先生の負担を減らそうと努力していました。
本当に「私塾」と呼ぶにふさわしい場所でした。
放送の世界に飛び込むことが出来た後も
学校を訪ねたらいつでも原点に戻れた気持ちでいました。
在京キー局でも地方局でも、フリーで活動しているアナウンサーでも、
まだアナウンサーで無い生徒に対しても
その人の知名度や社会的地位に関係なく、
人柄に最も重きを置いて接する方でした。
永井先生の訃報に触れ、衝撃を受けている放送関係者が
全国にたくさんおられると想像出来ます。
365日、アナウンサー志望者のため、
またアナウンサーになった後に訪れる社会人としての悩みに応えるため
休むことなく走り続けた永井先生。
たくさんの勇気を頂いたのに、私はご恩返しが出来ませんでした。
永井先生はお幸せだったのだろうか。
無私の心境に到達などほど遠い私は
訃報に接した時からそればかり考えています。
たくさんの生徒の人生を豊かにして下さった先生の
ご自分の人生はどうだったのだろう?
余りに急にやって来た死に際して、どんなお気持ちだったのだろう?
それを考えると、いたたまれなくなります。
私が高知さんさんテレビに採用して頂いた後、東京出張の折に
永井先生をお訪ねした時のこと。
その日は珍しく色恋の話になりました。
先生は昔、ある女性に恋をした時のことを
とても遠い目で、とても懐かしそうに
微笑みながら話しておられました。
そんな話を伺ったことが無かったので驚いたこと、
少しはにかんだような先生の笑顔は今でもよく覚えています。
個人の幸せでは無く、生徒たちの幸せを優先されたこと、
それを素晴らしいとは思いながらも、
そのお気持に至るまでに、どんな葛藤があったのだろう、
寂しかったり、悲しいと思われることは無いのだろうかと感じました。
人の幸せのために生きる。今の私にはとても出来ないことです。
でも少しでも、永井先生がどうしてご自分のことは全く構わずに
毎日を駆け抜けてこられたのか、その力の源は何なのか?
それを知りたいと思っています。
いい人だから、生徒の幸せがご自分の幸せだから?・・・
それだけでは今の私には納得出来ません。
なぜなら自分だって幸せになりたいから。
人のために自分を犠牲にすることがまだ出来ないから。
永井先生、私は人のためになる仕事や生き方が出来るのでしょうか?
本当に思いやりのある優しい人間になれるのでしょうか?
自分や世の中に勝てる人間になれるのでしょうか?
勝ちたいと思うこと自体、また違うことなのでしょうか?
先生の訃報が届いてから、
とても大きな宿題が出されているような感じがしています。
私がいつ先生の旅立たれた先にたどり着けるか分りません。
けれどもそれまでに、自分なりの答えを持って行きます。
それまで待っていて下さい。
先生が気に入って下さった二日酔い止めのウコンも持って行きます。
また先生が微笑んでいらっしゃるお顔が、見たいです。
とりとめ無い文章で恐縮です。
申し訳ありませんが今日はこらえてやって下さい。